ゴーン・ベイビー・ゴーン(2007)/★★★★☆

カップル探偵の幼児誘拐事件捜査。これは考えさせられた。
ゴーン・ベイビー・ゴーン [DVD]
ベン・アフレック初監督作でなぜか劇場未公開。
3歳の少女が誘拐され調査を始めたカップル探偵(夫婦ではない)が辿り着く結末。


オープニングでぐっとひきこまれる。描かれそうで描かれなかった本当のアメリカが描写されている。
メイキングを見ると、原作者(デニス・レヘイン)と脚本家(ベン・アフレック、アーロン・ストッカード)ともボストン育ちで実際の撮影もボストンで行っている。(だから”地元なまり”が随所にあるらしい)
しかも出演者の多くは地元の人たちを使っており、ある意味”ボストン”という「街」が主役でもある。

ストーリーにもそれが反映されており、地元で育った私立探偵二人がそのコネを使って、調査を進めていく。
行く先々に知り合いがいて情報を得たり、友人の”売人”からタレコミを受けたりと警察の捜査の先を行く働きを見せる。

特に最初の酒場のシーンが象徴的だ。聞く側と聞かれる側、当然反発しあうが、どちらも地元民同士の微妙な空気感がよく表れている。
そして、この空気感は”カップル探偵”同士にもあるし、刑事との関係にも表れる。
ある意味、この街が生んだ犯罪とも言えるかもしれない。


主役は監督ベン・アフレックの弟”ケイシー・アフレック”。これがキャラクタにマッチしていて、純粋でまっすぐ。どんな脅しにも怯まずまっすぐに突き進む感じがよく出ている。(兄貴にも似てるしね)もちろんボストン出身。
このキャラクタなしにこの物語は成立しなかっただろう。
パートナーはミシェル・モナハン。捜査にいつもくっついていき、状況を冷静に判断する役回りである。(だからこそあの思い切った行動が光っている)


ベン・アフレックは「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」以来の脚本で、自分で監督したいと思ったという。
役者を身内と演技力の確かな役者で固め、自分の地元で撮影し、地元民を積極的に使った。つまり最小限に小さくすることでリスクを減らしたとも言えるが、それがこの作品にはぴったりとはまり、見事な傑作に仕上がったと思う。

以下ネタバレ全開

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多くの人たちは女の子は母親のもとに戻らない方がよかったと思うだろう。
でも私は”ある意味”これはこれでアリだと思う。

母親は薬中毒でアルコール中毒。母親である自覚もなく遊び歩き、炎天下に子供を車中に置き去りにして、大やけどを負わせたこともある。当然付き合う相手もろくでもなく、娘の父親になる資格もない。
ただその母親を育てたのはその母親である”ビー”。昔はアルコール中毒だったというセリフがあるし、一瞬うつる台所の流しには大量の洗い物が溜まっている様子が映る。
事件後、”ビー”は母親の側を離れたという(「叩き出してやった!」と母親は言う)
孫を一番心配している様子だが、実際に世話をしていたのは祖父だったと思う。


つまり、アル中の祖母からアル中で薬中の母親が育ち、その娘が誘拐された。ダメ母は連鎖しており、このままでいくと間違いなく娘も同じ道を歩むだろう。
連鎖は断ち切る必要がある。
そのためには、まず母親が変わる必要があるのだ。
(その代償としてエド・ハリス、ジョン・アシュトンの死やモーガン・フリーマンの逮捕はあまりにも大きすぎる代償だとは思うが、彼らは赤の他人の娘のためにそこまで責任を背負ったのだ!)


「もうこの母親は変われない」として娘を引き離すか、「母親を変らせる」努力をするか。
私は後者だと思う。
ケイシー・アフレックは「正しいこと」のために選択したようだが、それは間違いだと思う。


私が思う解決策とはこうだ。


州警察には連絡せず、しばらくモーガン・フリーマン夫婦に預かってもらう。
しかし、母親が本当に更生したと、これならやっていけそうだと思ったところで、娘に会わせる。
その間に周りには何くれとなく世話をやき、母親の様子をみる必要があるだろうし、娘に会った時どんな反応をするか、騙されたとしった時、どんな行動をとるかは予想がつかないだろう。
でも”娘は誰のもの”と決めつける前に、みんなで協力すればいい。
落語に「芝浜」という話がある。
金を拾った男がぐうたらになり、嫁に金を隠される。そこで夢を見たと思って男が改心する。
そんな解決策もあると思う。



ラストシーンは一人ぼっちでテレビを見る娘の姿がある。
それまで面倒みてくれた祖父母はもうおらず、母親は相変わらず男に会いに出かけて行く。
横で見守るケイシー・アフレック


子を持つ親としては、とてもひとごとでは済まされない重さがある。