インセプション(2010)/★★★★

村上春樹版「スパイ大作戦」。どうにも引っかかることが。
オリジナル・サウンドトラック インセプション

長文ネタバレ、ご注意を。

■「スパイ大作戦」と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

スパイ大作戦」にこんな話がありました。

ある将軍を列車(と思わせたセット)に乗せ、様々な事件を起こして味方に対する不信感を持たせて秘密を聞き出す。

列車はセットなので次々と問題が発生します。雨が降り出して雨音が聞こえるのに風景は晴れているとか、窓に映した風景が現実と違う点がばれるとか。
なんとかクリアして、最後に将軍が秘密を話した瞬間に壁が倒れてセットであることが明らかになります。
見ていて爽快だったので子供心によく憶えています。

そして、もう1つ思い出したのが村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。夢の世界「世界の終わり」と現実の世界「ハードボイルドワンダーランド」がクロスしていく話ですが、主人公は人の頭の中に入る”計算士”という職業でした。


この映画は、この”計算士”がスパイ大作戦のようにチーム組んだらどうなるか?という話だと思いました。

■「夢」はアクションを見せるための手段に過ぎない

ただ、それにしては夢の世界が半端に現実的過ぎます。夢の中であれば”現実なんだけどどこか違和感がある”感をもっと出して欲しかったです。
さらに何でもありな分、何らかのルールがないと見ていて共感しずらい。
(「死ねば夢が覚める」という条件なのに大事なところで「薬を使ってるから死んでも夢が覚めない」というのもちょっと)
夢モノ最高峰の「ビューティフル・ドリーマー」には遠く及ばず、クローネンバーグやテリー・ギリアム的な方向にも行かず、映像やスケール感は凄いのに、どこか常識的な範囲内に収まっています。
また、インパクト度では「マトリックス」すらも越えていないと思います。


そう考えると、「夢」はあくまでもアクションを引き立てる手段にしか過ぎず、いかに荒唐無稽なアクションを見せるかが狙いのようにも見えます。
冒頭、サイトーの頭に忍び込んだコブの活躍が出てきますが、現実と微妙にリンクした夢の世界が双方ともアクションで描かれます。(現実にもなぜか暴動が起きている)。しかしそれすらも夢で本当の現実は列車の中。
そう、現実と夢はリンクしておらず、夢同士(夢の階層構造)がリンクしているのです。
この世界では夢と現実は交差していないのです。

■私がどうしても引っかかること

どうしてもひっかる事があります。

それは2人も子供がいるのに夫婦水入らずで50年間も夢の中に過ごしたという設定です。(私の勘違いかな?)
いくら夫婦愛が強くても、それはダメでしょ。ただの子育て逃避にしか見えません。
もちろん、現実ではもっと短い時間だし、せっかくのオトナの夢だし、親子4人だったら現実に戻る必要もなくなっちゃうしと色々問題があるのは分かりますが、やっぱり受け付けられません。
また夫のコブは現実に戻りたいが、妻のモルが嫌がったとなっていますが、普通だったら逆のような気がします。
夫は夢に残りたがるが、妻は現実に戻りたいという方が自然じゃないですか?
さらに50年も暮らしていながら現実に戻ろうと思った理由もはっきりしません。
子供を放置して2人きりで50年間夢の世界で暮らす。ダンナがそろそろヤバクねと言っているのに夢の世界に残りたがる妻。

「モル育児放棄説」を唱えたいと思います。

そう思わせる別の理由として「レボリューショナリー・ロード」でも子供のいるのにほとんど子供の姿が描かれず、夫婦喧嘩ばっかりして妻が自殺するダンナをディカプリオが演じているため、妻のキャラクタを重ね合わせてしまうんですよね。

「ディカプリオは奥さんを死なせてしまう夫の役を3回連続でやっている」by水道橋博士

という指摘もあります。

■見るべきは「アクション」「編集」そして「ビックバジェット」

見ていて感心したのは、「アクション」の上手さです。
23:00からのレイトショーで見たのですが、次々に見せられるアクションに全く眠気を感じませんでした。これは凄いことだと思います。
さらに特筆すべきは、これだけ複雑な話でありながら、それぞれのシーンを上手く見せている点です。
二重三重(いや五重ぐらいまでの)階層を並行して描いているのに、いまどの階層を描いているのか混乱することがありません。
もちろん、逃走する車内、無重力のエレベータ、雪原の建物、廃墟と化した街とそれぞれ舞台も変えてますし、時間の経過度も超スローからスピードも変える工夫も随所にされていまが、やはり監督の力量が優れているからではないでしょうか?


さらに「ダークナイト」の成功もあるのでしょうが、これだけ”変な話”でありながら、ビックバジェットで作り上げた根性が素晴らしいです。(だれがこんな話に何百億と出せるでしょう)
監督一人の頭にあるイメージだけで、これだけの予算(スタッフ、キャスト)を動かして映画を作り上げた点は純粋に賞賛に値します。
CGという武器を使って監督の頭の中(イマジネーション)だけにに巨額の予算をかけると言う意味では「アバター」よりもリスキーだったのではないでしょうか?(青い巨人の方がまだイメージしやすい)
これ撮るのはかなり大変だったと思います。


なお、ハンス・ジマーの音楽は「ダークナイト」の方が全然よかった。というか、耳に残る音楽が無い点で評価は低いです。

■独楽は止まったのか?

話題になっているラストの独楽は止まったのか?問題ですが、私は止まった派です。
理由として

  1. 実は夢と現実は作用しておらず、機内・空港の描写は現実であるため、夢には戻れない。
  2. 独楽が揺らいでいる(夢の中の独楽は全く揺らがずに回っています)
  3. 子供と過ごしたいというコブの願いは本心である。

の3点を挙げておきます。


ただし、「そもそもコブは妻と子供から捨てられた存在であり、この話自体がコブの脳内ストーリーである」可能性は否定できません。
ラストに微笑む子供たちの手前にモルがいて、子供たちにはコブが見えてない。(実はコブの妄想だった)そんな描写があればゾッとしたし、独楽は回り続けたと思うのですが・・・。


色々文句を言ってますが「あの列車はなに?」「あの歌の意味は?」「設計士は何やったの?」とか「あの風車や写真の意味は?」「一度目のキックをスルーしたのになぜ平気?」などなど色々気になることがあって、興味が尽きない映画ではあると思います。