隠された記憶(2006)/★★★☆

「疚しさ」が生み出すもの。
隠された記憶 [DVD]
「驚愕のラスト」と評されているが、正直あまり驚かなかった。別に結末が読めたわけではなく、もはや犯人などどうでもよくなっていたからだ。
テーマは「疚しさ(やましさ)」。相手に対してやましい事をしたと思っている人間はどのような行動を取るのかを冷徹に見据える。人種偏見へのやましさ、夫婦の間のやましさ、親子のやましさ。「やましさ」は「頑(かたく)なさ」を生み出し、容易に「秘密」と結びついて「不信」へとつながる。
ショッキングなシーンはほとんどないが、長い間合いが生み出す緊張感のすごさ。特にあの惨劇のあとの男の姿ほど「やましさ」を雄弁に物語るものはないと思う。


この映画はだれもが持つ疚しさ(=罪の意識)に訴えかけてくる。
ただし正直見ていて楽しいものではない。


以下ネタバレまじりの独り言。

冷静に考えると、疑惑をかけられた男はそれほど主人公を恨んではいなかったのではないか?。確かに教育を受けるチャンスを失ったかもしれないが、もともと使用人の息子だったわけだし、比較的早い時期に諦めはついたのではないかと思う。
にも関わらず、主人公はこの男に後ろめたさを感じる。それはプライドの高さや狭量さと同義だ。記憶の奥底にしまって置いた出来事。自分が許せない以上に"人に話したくない"のだ。この映画では妻に何度もウソをつく。そしてその度にバレる。夫婦であっても、いや夫婦だからこそ話したくないのだろう。
はたしてこの夫婦はどうなるのだろう。別れるのか、続くのか?。私は意外と長続きするような気がする。でも嫁はこのことを忘れない。絶対に忘れないと思う。また主人公もその事を意識し続けるだろう。それが"犯人の目的"なのだ。
主人公はもっと自分に寛容であるべきだった。もっと自分をさらけ出し、すくなくとも妻には話すべきだった。自分の狭量さを認め、それを受け入れ、妻に訴えるべきだったのだ。そうすれば"どうって事はない。ただの過ちだった"と認めることが出来るチャンスだったのに。
でも、それが出来ない。なぜならこの主人公は私であり、見ている人全てでもあるのだから。