虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜(2012)/★★★★

実は「時かけ」だった
虹色ほたる―永遠の夏休み― [DVD]
父を亡くした少年がダムに沈んだ昭和52年の村にタイムスリップする話。

こういった話は導入部が難しいと思うのが、本作もギクシャクしている印象。
ただ"いとこ"となるさえ子が登場したあたりから物語に引き込まれ、村で一番の友達となるケンゾー、子供たちから恐れられている神社の神主(通称"青天狗")らが登場してからは主人公とともに、観客も村での夏休みを体験することになる。


夏休みの様子がとても丁寧に描かれている。
カブトムシとり、川遊び、アイスクリームの買い食い、祭りのための灯篭づくり、道ゆく人からトウモロコシを分けてもらう。
家にはばーちゃんがいて「せっかく村に来たのだからたっぷり遊んでいきな」と言わる(決して勉強しろとは言われない)。
水はビックリするくらい冷たい湧水で畑で採ったばかりのトマトにかぶりつく。
意地悪をする人はおらず、設定が昭和52年(1977年)と35年前なので、『三丁目の夕日』ほど昭和でもなく、生活するには困らない程度のレトロ感だ。


前半はこういった誰もが持っている夏休みの楽しい記憶、自然豊かな山での生活への憧憬を描くが、後半にある事実をが判明してから主人公のユウタが大きく成長するきっかけが訪れる。
妹のように思っていたさえ子が実は父の事故現場にいて事故に巻き込まれていたのだという。現在は病室にいてこのタイムスリップが終われば、死ぬことを望んでいる。
さえ子に生き抜くことを訴えるユウタ。
やがてさえ子に時が来るが、記憶から消えても必ず見つけだすことをユウタは誓う。
そして・・・・


ここでやっと音楽が松任谷正隆である意味に気がつく。
松任谷正隆ユーミン全曲の編曲者であり、名プロデューサでもあるが、映画音楽家としても天才だと思う。
ねらわれた学園(1981)」「時をかける少女(1983)」。
何をおいても思い出すのは音楽で「時かけ」の物語の始めを感じさせる序盤や「学園」での剣道の試合の音楽など、観終わった後も耳に残るし、その音楽を聴いただけで場面を思い出す事ができる。
ただし、めったに映画音楽を手掛けないだけに、本作は『天国の本屋〜恋火 (2004)』を除けばほぼ30年ぶりの復活。
それだけでもこの映画を見る価値があると思っていたが、"記憶を失っても相手を探し続ける物語"というテーマは「時かけ」そのものだった。
だから音楽は松任谷正隆でなければならないのだと思う。


さて、30年ぶりとなった松任谷正隆の音楽ですが、メインテーマは流石のクオリティ。
ちょっといきものがかりの「帰りたくなったよ」に近いメロディだけど、終盤の坂道を駆け登る場面の涙腺崩壊の破壊力は流石だと思う。
それとユーミンの挿入歌へのつなぎ方が完璧。
これは編曲者として挿入歌も含めての映画音楽として機能しているからだと思う。
映画音楽自体も洗練されて、それとは気づかないぐらいに物語を盛り上げる役割を果たしている。
ただ、洗練されすぎて昔のように尖った劇伴がないのが少々不満ではありました。


賛否両論あった絵ですが、私は全然抵抗なし。クレヨンしんちゃんでも絵を動かすためにこれくらいのデフィルメは当たり前だし、なによりよく動かしていることに感心した。
アクションのためではなく、人物や気持ちを表すためのアニメーション。
歩く、話す、物を持つ。食べる、走る、見つめる。
止った絵がなくつねに動き続ける画面を見ていると、作り手たちの気概が伝わってくる。


ここまで聞くと凄くいい映画のように聞こえるが、観終わった後の満足感がそれほどないのはなぜか?
おそらく原作に起因するものだろうけど、イマイチ物語が繋がってこない。
さえ子に生きろと説得するのは分かるが、じゃお前はどうなんだと。
主人公が成長する話なのに成長する理由がはっきりしないんですな。
さらにクライマックスの蛍を見に行く場面もなぜ見なければならないのか分からない。
エンディングのファンタジーは完全に観客をおいてけぼりにしている。
ただ、原作を知る人たちからはこのエンディングは概ね好評のようなので原作を知らないと楽しめないのかもしれない。


それと、意図しているのかは不明だが、ダムに沈む村から去っていく人たちと祭りまで残っている人たちの姿を見ていると現在のフクシマと重なってきて何とも言えない気分にさせられる。


それほど話題にならなかったが、忘れ去られるには惜しい力作だと思う。