あの日、欲望の大地で(2009)/★★★★

"不倫"の持つ意味とは?省略と抑制が効いている
あの日、欲望の大地で [DVD]
これを観ていて、つくづく不倫というものはするもんじゃないと思った(いや、したこと無いけど)
”不倫”とは”大事な人(夫や子供達)へウソをつき続ける事。それ以外の何者でもない”事実を見せ付ける。

家族に隠れて電話。重ねられる嘘。無視する子供の言葉。家族をスーパーに置き去りにしてまで、相手の男に会いに行く姿。不倫中に子供が怪我をした事を知る痛み。
そのどれもが"不倫"という行為の代償として突きつけられる。


不倫というと、妻子ある男性と独身女性の組み合わせが頭に浮かぶが、本作ではどちらも家庭を持つ男女だ。
しかも、女は多感な年頃の娘と食べ盛りの息子の4人の子供を持っている。
この設定が不倫の暗い側面をあぶりだす。

同じ不倫物として「リトル・チルドレン」と比較すると面白い。
リトル・チルドレン」では、不倫に至るまでの様々なエクスキューズ(言い訳)が付いて、やがて最後の一線を踏み越えてしまうわけだが、観る側の共感が得られるように作られている。
(男は妻がバリバリのキャリOLで、男は家事・子育てに専念。使った金を逐一チェックされる始末。女はダメ亭主を持ち、隠れてマスをかく夫の姿を目撃してしまう)

しかし、本作では不倫関係になるまでの過程が一切描かれていない。
しかも知人から借りたトレーラーハウスを住みやすく綺麗にし「不倫ハウス」を築く姿が描かれる。
この2人は不倫の享楽を受けているだけにしか見えないように描かれているのだ。


この映画はもう1つの人生を織り込む。
半ば事故とはいえ、自分のした行為を許せない娘は人間関係から逃げ回り、自らを罰するように次々と男達に身を差し出す。雨の日車で送ってもらっただけの相手にすらだ。
母の不倫相手の息子と関係を持ったことから、やがて男と寝ることが自らの罪への贖罪となっていく。
母の背負った業がそのまま娘に引継がれ、生きながらに地獄の業火に焼かれ続けているのが、観る側にも伝わってくる。

この母娘2代にわたった「業」が3人目である孫に引継がれるのかどうかがが問われる。
ラストのシャーリーズ・セロンの表情に注目。


何者にも心を開かない氷の女をシャーリーズ・セロンが見事に体現している。
何かを背負って不倫に走ってしまう不倫妻(セロンの母)にキム・ベイシンガー
さらに、この2人に負けてなのが、セロンの娘時代を演じたジェニファー・ローレンスシャーリーズ・セロンにそっくり)とセロンの娘となるテッサ・イア。
この女優陣を軸に男性陣も見事なサポートだと思う。



『バベル』『21グラム』と同様に時間も場所も人物も交錯させつつ、観るものを混乱させずに物語が展開するギジェルモ・アリアガの手腕が見事。
前の2作に比べてケレン味がない分だけ地味に見えるが、逆にこの構成はこれがただのテクニックではなく、画面の余白と余韻を生かす手法であることがわかる作品になっている。

シークエンスが短いために、省略と抑制がよく効いていて、見せたくない(観客の想像に任せたい)部分がより際立つように撮られていると思う。

ただし、物語の鍵となる”あの場面”が予告編で堂々と出ているのには驚いた。
DVDに収められたインタナショナル版の予告編と日本版の予告編が同一だったので、日本の配給会社の責任ではないことは分かるが、出来れば日本版の予告編を作って欲しかった。